最高裁判所第二小法廷 昭和25年(ク)65号 決定 1952年7月04日
抗告人 全日本造船労働組合玉野分会
相手方 三井造船株式会社
主文
本件特別抗告を却下する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
抗告理由第二点は要するに、「就業規則の改正は労働組合との協議によつて行う」旨定めた労使間の協定に違反してこれを改正しても、その改正は有効であるという原決定は、結局団体交渉権を無視したものであつて、憲法二八条に違反するというに帰する。しかし就業規則は本来使用者の経営権の作用としてその一方的に定めうるところであつて、このことはその変更についても異るところがない(労働基準法九〇条参照)、勿論労使間の合意により、その変更を労使双方の協議により行う旨定めることは何等差支えなく、本件も恰もかかる定めがある場合に該ることは明であるけれども、その定めは単に労使双方の協議により作成された就業規則中においてなされたものであつて、労働協約またはこれに基く経営協議会規則等における定めではなく、しかも労使間の協議調わざる場合の措置等について何等考慮を払つた形跡がないというのであつて、この事実と上記の如く就業規則の制定権が元来使用者側にあるという事実とに鑑みれば、前記就業規則中の定めは、単に使用者が就業規則を改正するについては労働組合と協議すべき義務を負担するという趣旨たるに止まり、これが協議を経なかつたとしても、それは右義務の違反たるは格別(原審の認定によれば五日間の回答期間を附しており、従つて使用者の独断専行による改正ではないと認められる)、これをもつては規則改正の効力を左右する趣旨のものではないと解するのを相当とする。そして右就業規則を以上の如く解釈することは、何等団体交渉権を否定したことにはならない。蓋し団体交渉による就業規則中の定めを常に抗告人主張の如く、解釈しなければならぬ何等の根拠もないからである。
しからば抗告人の右主張は畢意独自の見解に立脚し、名を憲法違反に籍りるだけのものであつて適法なる抗告理由たり得ないものといわなければならない。そしてその余の抗告理由は憲法違反を主張するものでないから結局本件抗告は不適法として却下を免れない。
よつて、抗告費用は抗告人の負担とすべきものとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 霜山精一 栗山茂 小谷勝重 谷村唯一郎)
抗告代理人寺田熊雄の抗告理由
第一、原決定は法令及び法の基本概念に違反している。
(一) 労働基準法第九章の規定を合理的に解釈すれば就業規則は事業場における法規であつて、これに制定する権限を持つ使用者と雖も拘束せられ、これに背反するを許されぬこと、旧憲法に立法権を把持した天皇が法令に規束せられた関係と同様である。又労働関係において憲法及び労働組合法が労働者の団結権と団体交渉権とを認めた趣旨は、元来一切が使用者の権限内に在る労働者の雇傭の問題や労働条件の決定等について労働組合の発言を可能ならしめること、云いかえると、労資間の協議に依て経営権の行使がなされることを前提にしているものである。従つて、一つの問題について、労資間が協議して行うことを協定した以上、それが労働協約においてであろうと、本件の如く就業規則においてであろうとあるいは他の協定書のような形においてであるとを問わず、労資は、然くせざれば行わない旨を合意したのであり、これに反した行為は、単なる事実上の行為であれば、ともかく、法律上の効果を生ずる法律行為又は準法律行為である限りは、当事者間においてその違反行為それ自体又はその法律的効果を主張し得ないのであつて、その行為が元来使用者の権利に属するや否やと云う点は始めから問題にならないのである。抗告人は、この事実を以て無効と表現した。原決定はこの点につき、就業規則の条項のもたらす効果を債権的物権的と区別しているが、こうした思考は就業規則の法規であることを忘却すると共に、元来当事者以外の第三者を予想する法律行為の効果についての概念を以て、本件の如く、当事者間においてのみ有効、無効を争う法律関係に導入したのであつて法の基本概念を曲解している。
(二) 原決定は、就業規則が法規であり、その制定権者と雖もこれに拘束せらることを忘却したと同時に「合意は規束する」と云う私法上の大原則を無視している。何となれば、本件就業規則は原決定も認めたように元来が協議して定められたのであり、それ故に亦その改正も協議して行う旨を定められたのであるところ、それが最低基準を定めた労働基準法の規定に合すると云う丈で、その一方的変改を有効であると結論しているからである。私人は他の私人と対等の立場に立ち合意に依て、その生活関係を規制する。而して、一且合意がなされた以上、仮令、それは元来はその人間の専権に属したものであつたとしても、もはやそれを独断的に破毀するを許されぬこと私法の大原則である。原決定はこの点の考慮を忘却した。
(三) 原決定は、相手方の行為が就業規則に違反することを認めると同時に、労働基準法第二条第二項に違反していぬことをも認めた。労働基準法は元来、資本主義の理想たる産業自治の世界観を労働者に人間たるに値する生活を確保しようとする人道主義に依て克服したものであり、それ丈に、最低基準を設立するに止まらざるを得ないと共に、それ故に亦、強行法規として強くその遵守を求める性格を持つ、殊に総則的規定たる第二条の如きは然るのであつて、これに違反する行為を以て、当事者間において有効と宣言する如きは、看過し得ぬ重要な法令違反である。
第二、原決定は憲第二十八条の規定に違反する。
原決定は、労働者の協議――団体交渉――の問題について、協議不調の場合の規定がないとか、協議決定と云う規定でないからとか、種々理由をつけて協議して行う旨の労資間の協定を、一方がそれに違反しても他がその行為の無効を主張し得ぬとした。然し、それでは結局団体交渉それ自体及びそれに依て獲得せられた効果が何等の成果を結ばぬこととなり、結局、団体交渉権が無視せられたと同一である。相手方たる使用者は抗告人たる労働者の団体交渉権を無視し、原決定はこれを是認したのであつて甚しく不当である。原決定は、それを不当として争議をした場合その争議が正当になるとか損害賠償を求めうるとか云つているが、争議は相手方に不法行為がなくても正当視せられる労働者の権利であり、又本件の如き場合団体交渉権を否定せられて如何なる損害賠償が求めうるのであろうか。
第三、原決定は理由に齟齬がある。
原決定は、使用者が労働者との協議なくしては就業規則を変更しない旨の規定の意味が若し協議不調に了れば、変更出来ぬと云う意味であるならば(本件がそうでないことは始めから明かである)それは無効であると判示して、本件に於ては「協議して行う」とあるに止まり、「協議して決定する」とないから、協議せずとも無効ではないと云つている。然らば「協議決定」とあつて協議決定が得られなければそれは同じく無効と云うのであろうか、かくては無効の場合を根拠にして抗告人の主張を排斥したことになる。又協議なり、協議決定なりに依て、権利を行使すべき際、その協議の決着点が得られなければその権利行使をなし得ないとする意味ならば、そうした合意なり、規定なりは無効であると云う原決定判示はおかしい。人はその権利を抛棄することすら出来るのであつて、その程度の制限がなし得ぬ道理がない。問題は、公序良俗や、信義則、協議権又は同意権のような権利の濫用の法理に依て解決すべきで、権利の自律的制限自体を無効とすべきではないのである。
以上の理由で原決定は破毀せらるべきものと信じ本件抗告に及ぶ。
抗告代理人寺田熊雄の抗告理由
一、原審は、相手方会社の就業規則中には、第九十四条「この規則を改正する必要を生じた場合は、労働組合との協議によつて行う」とあること及び、それにも拘らず、相手方がこの条文に違反し、労働組合との協議をなそうともせず、又実際も之をなさずして、就業規則を変更したと云う事実を認め、唯、この協議の義務は元来就業規則を一方的に変更しうる使用者の権利を物権的に制限したのではなく、単に協議すべき債務を負はしめたに過ぎず、その違反は、損害賠償義務を発生せしめる等のことあるに過ぎぬと判断した。
然し乍ら、元来、使用者は人を雇入れることも、その労働条件を決定することも、解雇することも一方的にこれをなし得ること就業規則制定権と異る所はない。成程賃銀や労働時間の決定は、法律上雇傭契約を通じてなされる立前になつているが、之は唯労働者が気に入らなければ雇傭契約を結ばず雇傭関係に入らぬか又は雇傭関係を打切つて了うかと云う形式的自由のあることを意味するに過ぎず、雇傭すること、賃銀を定めること、労働時間を定めること、解雇すること等が元来使用者の権利に属すると云うこととは自ら別個の問題である。
然るに、労働者はこうした使用者の権利が一方的に行使せられることに依ては人間たるに値する生活を維持し難くなるから、団結し、団体交渉に依て使用者の一方的権利の行使を抑制する権利を与えられることとなつた(憲法第二十八条)。
従つて、かかる労働者の権利団体交渉権を否認したり無視することは許されぬ。然るに、本件就業規則は労働時間や賃銀に関する規定は勿論、労働条件の根本をなす雇傭関係に関する規定(馘首を民主的な賞罰委員会の議を経て行うこと、定めたもの)等を含み会社は、こうした事柄を、前記第九十四条に違反して改正して了つたのである。
かかる場合、原審は、使用者の行為は違法である、労働基準法にすら違反していると云いつつもその違反は損害賠償の義務を発生せしめたり、これを不当として行うストライキが合法性を取得したりするに止まり、その改正の効力を無効にはしないのである。使用者は優に改正を以て労働者に対抗しうるのであるとする。然し、会社に勤めている労働者がかかる改正に依て、今迄は、組合が如何なる理由で首切るかに付て十分説明を求め、あり得べき会社の恣意を抑制する手段を持つていたが、今回それを失つた、従つて何かしら不安を以て働かねばならぬと云うことに付て、その事自体は重要ではあるが、損害賠償の額を決定したり、訴訟したりすることが出来るであろうか。
又厚生施設に付ては組合と十分協議して、運営することになつていたのを使用者が一方的に運営することになつた。そうした改正で、労働者なり、組合の蒙る損害は幾らかなどと云うことが実際に決定しうるものであろうか。
こうした点、原審は余りにも法律的思惟の精緻さに陶酔して、現実を無視した結論に到達した。
会社の措置が違法だから、組合の之に対抗するストライキが合法性を取得すると云う原審の論定もおかしい。会社が組合との協議義務を履行したが協議が成立せず、遂に会社案に決定することになつた(会社が誠実に協議を尽して尚且結論が得られなければそのときは会社が組合の意見を聴くに止めて之を改正し得ることは、抗告人も争はない)としても、組合は之に対してストライキを行うことが出来るのであつて、会社の行為が違法であると云うことは、それに対するストライキの合法性の有無の規準とする必要を見ないであろう。
二、要するに、相手方会社の措置は、抗告人組合の団体交渉権を侵害したものである。かかる侵害を認めつつ、それが有効であるとするのは結局団体交渉権を否認するものであつて憲法第二十八条に違反するものである。尤も原審がかかる侵害ありとしても優に之を償うに足る救済のあることを教えてくれたならば、抗告人も労働者も満足したかも知れぬ、然し、原審の説く所は凡そ現実を無視した法律理論のマスターベーシヨンであり「親子七人が食べられないから自殺する外ない」と云う現実の問題に対して、「宗教以外に救う道はない」と云うお坊さんの云うことと同様で、労働者としてはあいた口がふさがらぬのである。
三、原審は、相手方会社の措置が公の秩序に関する労働基準法と云う強行法に違反することを認めた。公の秩序に関する強行法に違反する行為は無効であること従来大審院判例の認めて来た所である。
されば、本件と全く同種の事件で函館地方裁判所は申請人全日本造船労働組合北海道支部相手方函館船渠株式会社間の仮処分事件に於て、抗告人と同旨の決定をなされた(日本労政協会発行に係る週刊労働昭和二十五年七月十七日号御参照)。原審は使用者が最近の時勢に乗じ如何に無茶をやり出したか、労働者が如何に弱つているかと云う点で、もう少し細やかな配慮を注ぐべきであつた。
仍て「原決定を破毀し、本件を広島高等裁判所に差戻す」と云う御決定を得たく本件特別抗告に及ぶ次第である。
抗告代理人寺田熊雄の抗告理由
第三、抗告の理由
一、原決定は、その決論を生ずるに至る根拠として労働基準法が労働関係を規律する上に於て最低の基準を定める法律であることを忘却し、同法所定の要件だに充足すれば、就業規則に違反するも何等非違なきものとし、且つ就業規則が唯に労働関係に付て労働者を拘束するものに止らずして実に使用者をも拘束するものであること考慮していない(原決定理由第四項乃至第七項)。
二、就業規則は発生史的には、使用者の一方的制定に始まり、次いで所轄行政庁への届出及び監督と云う国家的干渉に及び、現行労働基準法は、最低限度の要求として、更に労働者の過半数を擁する労働組合の意思を聴き、該意見書を所轄行政庁への届出に添付すべきことを規定した、改正の手続亦然りである。
而して、これは法に依る最低限度の要件であり、労資双方が協議して就業規則を制定、変更するとすれば、それがより民主的であることは当然である。従つて、かかる協議に依り、就業規則を制定した事業場は過去に於いても少くなく現在に於いても存在する。
加之、労資双方が納得ずくで定めた方が当事者間に不平もなくよりよく遵守され易いと云う利点すらある。然るに、近時、使用者の労働者えの攻勢が開始せられかかる協議に依る就業規則の制定変更の方法を排し前記の如き労働基準法に依る最低限度の手続に低下せしめんとする傾向を生じている。
これは社会状勢の変化で固より止むを得ない。然し乍ら、その如く、手続きを実現するに当つては、事業場内に存在する法規に遵つて之を実行しなければならぬこと理の当然である。
三、本件に於て、就業規則が労資双方の協議で定められ、協議の上でなければこれを変更出来ぬ旨の規定が厳存し、従来亦然く実行し来つたにも拘らず、使用者たる被抗告人はこれを無視して一方的に変更して了つた。
原審は、就業規則中、この就業規則の変更は労資の協議に依て之を行うと云う一条は、労資双方の円満協調のためであり協議しなければ出来ぬ趣旨ではないとするが、これは元来、それが労資間で協議して出来上つた歴史的事実とわざわざかかる条文を挿入した経緯とを全く無視して了つたのであつて、労働基準法が最低基準法であることを忘却し、その要件だに充足すれば不当でないと思い違えたことに依るものである。又、円満協調のためと云つて違法を看過出来るならば、所謂債務的事項は凡てこれを無視し得ることになる。それは一層紛争を生ぜしめるか、又は法無用論を肯定せしめるに至るであろう。
就業規則は労資間に守らるべき法規であつて労働者のみを規律するものではなく、使用者も亦就業規則に違反することを得ないことは明かである。
四、次に、原審は、本件の如き簡単な法律問題に付決論を出すに四ケ月を要した。而も労働者に対しては、五日の間に意見書を出すことが相当であると判示した(原決定理由第六項)法律家が自ら簡単なことで四ケ月を要しつつ法律を知らざる労働者に対しては五日の間にやれと命ずる。
本件に於て、争議中徹宵尚力足らざる労働者に、他の一切の重要業務を抛擲し、会社から送り来た一葉の改正案、理由書をガリにすり執行部の皆は配り、会議を催して研究し決論を出し、然る後代議員会、全体会議を開いて意見を確定し、清書してガリに刷り、提出することを五日間にやるべきことを命ずる以上、原審は、この簡単なる法律問題の解決を一日でなすべきであつた。
抗告人は、意見書を出せと云う如き就業規則に真向から反する如き会社の要求には応じかねた。返事したら認めたことになるのではないかと云うごとき危惧は素人のよく抱くところのものであるからである。又、争議中、如何に忙しいかを知りつつ五日の内に意見を出せと云うような馬鹿げたことを云つてるのにハイハイと云う労働組合があれば御用組合である。
今正織工業株式会社に於て労資間に紛争あり会社は就業規則を変更し労働組合に対し五日の内に意見書を出せと通告し組合は一ケ月でも出来ぬと云う内、会社はサツサと労働基準監督署に出して了まつた。組合は労働基準監督署に談判して一度受理したのを受理せぬことにして貰つたようなこともある。
本件の要点は、協議の問題であつて、意見書提出の問題ではないが、意見書提出にしても法律を知らぬ労働者は平時ですら真実一ケ月位必要なことを、原審は、自らを省みて悟るべきであつた。
五、本件に於て、抗告人が被抗告人と協議するとしても結局同じ結果に落着くことも考えられる一方被抗告人が正しい主張に耳を傾けその一方的な主張を変えることも考えられるのである。例えば、改正案中、賞罰委員会を廃するとあるのを取止めるかはせめても諮問機関として残ることに成功するならば、抗告人としては無茶な首切りを阻止するにどの位効果があるかわからぬ。如何なる形態にもあれ、会議に一人の代表者を送る丈で、会社の陰謀は大幅に制約せられるのである。その他の改正点に付いても同じことが云い得る。
原審の決定は如何にして使用者を勝たしめんかと吸々にした結果、法を曲げたる裁判であるかの如き印象を受ける。かかる決定あらんか労資関係に於て法を無視する実力主義は一層はびこらざるを得ない。法を守れと命ずることを裁判所が抛擲したときは、法無用論の肯定せらるときであると考える。
仍て、原決定を破毀し、旧就業規則は労資間の協議に依らざれば変更し得ず、その誠実に行う協議の終了迄は就業規則変更の効力を停止する旨の御決定あらんことを求める。